九州ドライブ6日目

地獄の一日のはじまり。
多分、5時過ぎに起床。体に溜まった疲れが取れないまま走りだす。なぜこんな苦行をしているのか。答えは自分自身の中にしかないが、僕にはわからない。きっとマゾなのだろう。それかものすごいものぐさが高じて休憩を怠っているかのどちらか。
八女市をスタートして、大川市街から佐賀市街へ。コロプラで適当に位置登録を済ませると、鳥栖方面へR34を直進。吉野ヶ里遺跡を横目に見ながら、さっさと前に進む。R3に乗り、筑紫野市へ。太宰府天満宮の横を通り、飯塚方向へ。なぜならネットに名高い筑豊を一度見物してみたいと思っていたから。とはいえ、車で通るだけでは何にもわからない。ヒャッハーな地域だと噂ではあるけれど、国道沿いじゃ流石にそうでもないようだ(当たり前だけど)。R201に乗って、行橋に出る。それからR10で小倉へ。
関門海峡大橋を外から見物して、九州を振り返る。まあ、はじめてだったので広さがよくわからずに無茶苦茶なルートを組んだ割には楽しかったかな。今度はもっとゆとりを持って、といつも思うことをまた考える。まあ阿蘇あたりは心残りが多いから次はそこだなぁ。
次からは帰路。
門司港ICで高速に乗るが、下関ICで降りる車で左車線が異様に渋滞している始末。GWパワー恐るべし。そのまま直進して、山口JCTは山陽方面へ。赤穂ICの手前あたりから徐々に道が混み始めてうんざりするような渋滞が始まった。これはじめて経験するから本当に辛かった。しかもすげー疲れていたので眠くて仕方がなかった。何とか乗り切って山陽姫路西ICで高速を降り、姫路BP、加古川BP、第二神明ときて須磨ICでまた一般道へ。そこからR2を走ってハーバーハイウェイへ乗る。この道は奈良の走り屋に教えてもらったんだけど、結構短縮できた感があってよかった。ただ、ハーバーハイウェイへの道はわかりづらかったけど。ここから阪神高速道路5号線に接続して朝潮橋PAで休憩したときには午後8時過ぎ。しかしまだ走る。少しでも東に進んでおかないと、翌日の渋滞地獄で酷い目に遭う。そうならないためには、夜のうちに動いておくしかないからだ。
阪神高速から西名阪自動車道に乗り、香芝SAで食事休憩。確か豚丼のようなものを食べた記憶があるが、美味しかった。すぐに車に戻って、そのまま名阪国道へ突入。この瞬間から地獄が始まる。僕はこのとき眠くて眠くて仕方がなかったのだが、とにかく前に進んだ。名阪国道のナトリウム灯は道の左右にある、定間隔に配置されている光を何度も何度もパスするうちに、だんだんと左右からの光は手を結び合って、輪のようになり、前に進む度にそれをくぐり抜けていくような感覚がした。この繰り返しが眠気を加速させ、名阪国道という超ハイスピードで流れる道路の中で僕に死を意識させ、スピードを緩めさせた。光のアーチの下を通り抜ける度に、視線が明るい方へと引きずられ、前方へと向け続けることが困難になっていった。このまま運転すると確実に死ぬと思いながらも車を停める所が見つからず、僕は走り続けた。鈴鹿市のガソリンスタンドで五分ほどゆっくりすると、アレほど苛烈で猛烈だった眠気は少し抜けていたので、高速に乗ってPAで休憩するという安全策を選ぶことに。これが安全策ではなかったということが皮肉すぎるのだが。
至近のICがどれも混んでいたので、みえ川越まで下道で進み、そこから東名に乗る。とりあえず東へ進みながら、空いているPAを探すも、だんだん眠気が復活してくる。刈谷、美合、赤塚、新城、浜名湖、どれも一杯。入れない、入れない、入れない。眠気は前に進むにつれて増していく。高速道路を速度ぎりぎりの低速で走りながら、意識を前に保ちつつ、なんとか車線に車体をおさめながら進む。三方原PAにたどり着くと、運良くあいていた一角に滑りこませることに成功。日付が変わる手前で、何とか就寝。意識が途切れたまま、車が誰かにぶつかって死ぬというようなことにならなくて本当に良かった。こんな無理はもうしないと誓った一日でした。いやほんとひどい。
運転時間17h15m、走行距離993.9km、燃費16km/l

九州ドライブ5日目

この日は実はあまり語るべきことはない。
午前五時すぎに起床。この頃になると、身体が疲れすぎていて車中ではあまり眠れなくなってくる。はやくベッドで眠りたい。
起きだしてすぐに北上開始。宮崎市街を一ツ葉有料道路でパスし、そのままR10へ接続。北へ北へと向かう。延岡のあたりで高千穂に行きたいなぁと猛烈に思ったが、海沿いに宇佐まで北上するという遠大な計画があったので、泣く泣く見送る。天気もあまり良さそうではなかったし。海沿いに、とか思いつつも、日程の無茶苦茶さに日和ってしまい、R388への分岐に乗らず、R10を直進して佐伯へ向かう。佐伯からは東九州自動車道に乗り、別府まで向かう。ここからが無駄な行動のオンパレード。別府市街をわざと通過し、さらには杵築市へと向かい、杵築城の遠景を眺める。五秒ほど。そこから再度北上し、大分r34にて宇佐方面へと抜ける。
ようやく今日第一の目標である宇佐神宮に到着すると、早速見物。天気があまりよろしくないので、写真もなんか微妙なのばっかりで(晴れてても微妙だが)、がっくりきながらも、応神天皇、比竎大神、神功皇后の三神にきちんとお参り。車内に放置するための交通安全お守りも購入(これで、出雲、伊勢、宇佐となった)。宇佐神宮は趣はある方だと思うが、まあ出雲大社と似たようなものだという全くわかってない感想を持った。全体の雰囲気の話である。
宇佐神宮をあとにして、中津市街をわざと通過(これもコロプラのためである)し、そこから一路、やまなみハイウェイを目指すことに。時間は既に午後二時過ぎであるが、とにかく突っ込むことに。時間がないのでろくすっぽ見物できないのが残念であるが。R212を快調に飛ばし、耶馬溪で大分r28にスイッチ。さらに玖珠を目指す。大分r28は走っていて結構楽しい道で、このあたりはおそらくこんな道がたくさんあるのだろうと思うが、時間がないのでスルーしたのが残念で仕方が無い。今度来るならこのあたりメインかなー。R210で湯布院へと向かい(やっぱりコロプラ)、そこから大分r11ことやまなみハイウェイにたどり着いた頃には午後五時を回っていた。
陽も既に落ちかけて、というのならまだ趣があって乙なものであったのかもしれないが、単純に太陽が消え失せて視界は霧におおわれて、車窓の外は湿気った空気で満ち満ちていただけだったので、本当に単に走っただけになった。道沿いの店も閉まっていたので、本当にどうしようもない。晴れた朝に阿蘇のあたりを走りまくったら楽しいことだろう。正反対のことをやったので、なんだかなあ、であったが。やまなみハイウェイを走り終えるとそのまま豊後竹田に抜けて(そのままというのも語弊があるが)、R57に乗って阿蘇市街を抜けて熊本に出る算段を立てる。本当は阿蘇のあたりでうろうろしたかったのだが、何だかどこにいっても山道ばかりで動けなさそうだったので、比較的大きくて安心できそうな道に乗ろうとしたのだが、結果的には失敗だったっぽい。
R57で阿蘇、菊池にでた頃から猛烈に眠たくなる。しかしどこに車を止めればいいのかさっぱりわからない、というか判断がつかない状態になったので、仕方なく北に向かいつつうろうろすることに。頭痛を覚えながらも何とか道の駅たちばな(多分八女市)にたどり着いて就寝。時刻はおそらく5/4の23時過ぎ。道が真っ暗な中で、うつらうつらとしながら走ったのは大変悪い思い出だった。この時、僕は本日の後半がワーストなドライブだと思ったのだが、それは甘い見立てだったことを思い知ることになる。
走行距離690.6km、燃費15.9km/l、運転時間14h45m

九州ドライブ4日目

道の駅阿久根はR3沿いにあり、夜間でも交通量が多くてちょっとドキドキしながら眠ったのだが、何事も無く。ブログ市長のせいで荒れたイメージを持っていた上、奇妙なオブジェとかあるんじゃねえのかと思っていたが、そこまで観察することはできず。朝五時に起きて、そのまま川内へと走りだす。朝の川内市街地は静まり返っていて、交通量も少なくていい感じだったが、ここで川内原発を見たいと思って脇へと入る。
鹿児島r43は川内原発を通り、そのまま海岸沿いへ串木野市へと抜ける道だが、これが快走路であること素晴らしく、走って楽しい道であることは僕が保証する次第。いやほんと、いいです。肝心の川内原発は何事もなく静けさを保っていただが、朝っぱらな
ので見学も出来んだろうということで一瞬で通過。まあ、玄海原発よりは奇妙な感じしなかったな。玄海原発はなんか変な感じがした。雰囲気だけで言ってるけどね。
串木野でR270に乗り、そのまま南下。今日は開聞岳をめざすのだ、と意気揚々だったので、とにかく海岸線沿いに走れば感動を得られると考えていた。が、それが甘かった。南さつま市でR270はR226と分岐する。僕はここでR226を選んだ。海岸沿いに薩摩半島を走破してやろうと思ったのだ。野間半島の少し手前のあたりかなんかへんだぞとは思っていた。妙に道が細く、見渡すかぎり緑しかないのだ。別にいいじゃないかと思う向きもあろうが、そうではない。単純な話、僕は疲れていたのだ。4日目ともなると連続稼動の時間も下がりつつあり、精神的に磨耗する道を走るのは骨なのだ。野間半島から坊津へと向かう道は、まさにそういうものだった。ひたすらうねうねうねうねうねうねうねうねうねと曲がりくねった道を走り続け、しかも眺望は良くもなく、全行程の8割ほどは自然に囲まれた区間となっていた。低速カーブが連続する狭小区間というのは精神的に結構きつくて、それがロングドライブでベース基地(=家)から最も遠い場所ともなれば、これはもう驚くほど面倒くさいものとなる。さらに加えて、僕はこの時ものすごくうんこをしたかった。肛門にせり上がってくる(方向的には下がってくるわけだが)便意を押さえつけながら、ハンドルとアクセルを操って人里へと走り抜ける。この区間はあまりにも長く、決壊への焦りをかきたてるには十分だった。坊津はさほど大きい集落ではなく、うんこをするに適した場所はなかったなので、せっかくの人里であるにもかかわらず、僕はここでうんこをしない決断をして走り抜けた。結局、うんこをしたくなってから40kmほど走って、はじめて僕は枕崎にたどり着いて、そこのサンクスに滑りこんでうんこをした。便意の波に耐えぬいた挙句のうんこは気持ちよかったが、うんこをするまでに走った道は気持よくなかった。単純に疲れただけだった。漏らすのではないかという恐怖は、ドライビングプレジャーをスポイルしてしまうのだ。否、それをおいても、野間半島からの40km区間は面白くなかった。狭小区間があったとは言えども、すれ違う車はほとんどなく、さほど苦労しなかったにもかかわらず、面白くなかったという感想を今でも持っている。絶景ハンターにはおすすめできないのだ。この道は。
枕崎で色々と補給をすると、僕は開聞岳へとR226をひた走った。

やっと見えてきた開聞岳はもやに覆われていた。宜しくない、と思いながらも僕は車を走らせた。開聞岳周遊道路の道が見えてきたが、僕はあえてパスし、先に長崎鼻を目指した。日本の道路は左側通行であるから、開聞岳周遊道路がいくら細いとは言え、左から走れば苦労することはあるまいと考えたのだ。よって、先に長崎鼻を見てから、走ればよかろうと思ったのだが、まあこれも間違いであった。長崎鼻は行きどまり付近にあるガーデンパークと駐車場を共用しており、そこが無料なのだが、その手前で土産物屋に止められてそちらの駐車場に誘導される。面倒くさかったので土産物屋に停めてしまったが、袋田の滝よろしく土産を買っていけパターンなのは明白であり、僕はかるかんを買ったがこれは美味しくないからうんざりした気分になった。後ろからやって来る車も大体そんな感じでひっかかっては土産を買わされていた。立地だけで商売をしているという典型的な例で、嫌だなあと思うのだが、まあ特には言うまい。次からはガーデンパークの無料駐車場に止めればよいだけのことだ。


薩摩長崎鼻灯台を眺め、近づいてみてもぼやけて見える開聞岳にやきもきして、長崎鼻を離れると、僕は開聞岳周遊道路へと向かった。
開聞岳周遊道路への入り口はわかりにくい。普通に走っているといぶすきGCに入ってしまうくらいだ。開聞岳山麓大自然公園のゲート手前で分岐があるのでそちらの左にある側道へと入ると、ほっそいほっそい隧道があらわれる。

このわずか1kmに満たない1車線の隧道で、僕は二回も対向車に道を譲るべく200mほどバックをしなければならなかったので発狂しそうになった。心が狭くてびっくりするが仕方がない。相手はランクルやらRAV4やらでお気楽に走ってくるものだからイライライライラしてしまう(とはいえ、こっちもスポーティークーペなのだからお気楽度では大差ない)。道路は左側通行だ、習わなかったんだろうか。


隧道を抜けた先はこんな感じ。開聞岳の麓であるので、開聞岳は何にも見えない。残念ながら。
開聞岳周遊道路を抜けると、お次は佐多岬を目指す。本当は指宿で砂むし温泉に入りたかったが時間がない。そして、目的地は海を挟んで向こうなのでフェリーを使えば一発なんだろうが、僕は何故か陸地で目指す。というわけで、指宿スカイラインに乗る。しかしこの道は通行量が結構あるので、前がすぐ詰まる。先を急ぐときには、だらだらと走る観光車両が辛い。この道は鹿児島市から指宿へ抜けるように走ったほうが、恐らくは美しい景色も見えてよいのだろう。北上は味気なさすぎる。
鹿児島市で高速を降りて、R10にスイッチ。あとはひた走るのみ。流れはよくも悪くもなく、といったところで、佐多岬ロードパークの入場リミットである18時が気にかかりはじめる。途中、R10から分岐してR504を走るが、トラックやミニバンなどの遅い車のせいで、車列が数珠つなぎになって思うように進まない。本日、うんこ危機以来の焦燥感の高まりに、僕は思わず呻いた。それでもなんとか鹿屋市街を通りぬけ、R259にスイッチすることに成功すると、あとはひた走るのみだった。なんとか17時半過ぎには間に合うと入場料を払って駐車場まで車を乗り入れる。佐多岬展望台に入るには18時までに到着しなくてはならないので、駐車場からの1km位ある山道をせっせと歩く。展望台は荒れ放題だったが、もはやこのような「果て」にやってくるのは流行らないということなのだろうか。投下資本に見合うリターンが望めないから、放置されているのだということは誰にでもわかるが、昔は成り立っていたものが今では、というのはいささか寂しい。しかし、どうしようもない。


佐多岬を見たあとは、垂水方面へと車を向ける。途中、道の駅たるみずにある「湯っ足り館」で入浴。ここは安いから良い。公営の入浴施設ってのはやっぱり良い。昼間ならば桜島を一周、という色気も見せたのだが、そんな余裕はなく高速に乗る。ここで今までの歪な日程の限界が生じる。今回はコロプラの登録地域を増やすという目的もあったため、どうしても宮崎県の霧島地域をとうろくしたいという願望があった。そこで僕は何故か九州道えびのジャンクションを走ることにした。鹿屋から串間、日南と走るのが常識的なルートではあるのだが、この時は頭がおかしかったのでそのような判断はしていないし、最初から考慮の対象外だった。もうすっかり陽は落ちて、真っ暗であるにもかかわらず、僕は遠回りをすることにした。えびのジャンクションを通過し、霧島SAでラストオーダー直前のフードコーナーでラーメンを食すと、そのまま走りだす。何とか宮崎市に到着すると、もうふらふらだった。しかし、ミヤザキのどこで休めばいいのか検討がつかなかったので道の駅を探すも近くにない! よって、日南海岸ロードパーク沿いにある道の駅フェニックスまで走る。たどり着いたのは日付も変わって5月3日。ああ、もうダメですわと僕はため息を吐いて眠りに落ちた。
運転時間14h56m、走行距離 726.2km 燃費15.7km/l

九州ドライブ3日目

のそりと起床し、走りだす。朝食はSAのレストランで佐世保バーガー。高いんだよなあ。まずくはなかったけど。
鳥栖ジャンクションまでは奈良の基地外と一緒に走り、その後は一人で淡々と南下する。熊本から天草を目指してR57に乗った頃には、すでにお昼前。しかも天気は良くないので走っていて面白くない。ただし熊本はガソリンが安い。なんで? というくらい安い。唐津のプライシングが如何に高いかを痛感。道の駅「宇土マリーナ」をすぎて、快走路を順調に飛ばす。これで雨が降っていなければ面白いんだろうに、と溜息を吐きまくる。天草パールラインに入ると、ちょっと晴れ間が見えたり見えなかったり、雨が叩きつけるように降ってきたり、しとしとと垂れてきたりと、空が表情をコロコロと変え続ける。上天草のあたりが妙に渋滞していて、だらだらと続く車列に苛立を覚えながらとにかく前進。松島有料道路との分岐を過ぎたあたりから流れが良くなったので、思い切り飛ばす。TSIエンジンの溢れ出すトルクを、DSGで余すところなく活用しながら飛ばす飛ばす飛ばす。
天草市に上陸すると、まっさきに南を目指した。特に理由はなかったが、空はそちらの方がどうにも青く見えたからだった。たったそれだけの理由でも、ノープランなツーリングにおいては意思決定の重要なキーとなり得る。というわけで牛深を目指して走りだす。目的地まで40km以上。大丈夫、問題ない。今日中に鹿児島突入しなければならないのだということはさておき、問題ない。だってまだ13時を回ったばかりだ。とにかく飛ばす。TTの鼻先は軽い。FFにしては優れた重量配分のお陰か、広いトレッドのおかげか、高い限界でカーブをこなしていく。ユーロRよりも恐らくはかなりのハイペースで。そうしてたどり着いた牛深はのどかな港町だった。ただし天気はあまりよくない。

うーん、と首を捻り、そのまま大江天主堂へと向かうことにした。きた道を取って返すのも芸がないということで、熊本r35を走ることにした。が、これが選択ミス。ロングツーリング中には精神的にすり減ってしまうような、だらだらとしたのどかな細長い道。走っていて辛い。対向車が来ないことを祈りつつ走る木陰の道などは、本来ならば無用の用物だ。けれども、「きた道を戻るのは芸がない」ので、走りだしたこの道を戻ることはしなかった。そう、走り出したら前へ前へ進み続けるだけだ。地図はこの道がどこに繋がっているのかを教えてくれているのだから。少なくとも、途中で行く宛もなく途切れてしまうような道ではないことを、僕は知っているのだから。

大江天主堂について、ちょっとだけ見学したらさらに走りだす。R389を海沿いに走り、苓北町を目指す。地図で見るとちょっとうねうねしていて、こりゃアカンかなと思わないでもなかったが、ここから天草市街へと戻って、さらに苓北というのも無駄が多い。前段とは相反するところであるが、多少の辛さは我慢して距離の短縮を狙う。ところがまあ、これが走ってみると気持ちのいい道で、細いところは数箇所しかなく、快走路と言って良かった。走って良かった、と心から思った。北へと向かうに連れて晴れていく空は、僕の気持ちも明るくしてくれた。途中、下黒瀬のあたりで巨大な工場、もしくは発電所のようなものを見かけたのだがアレは一体何だったのだろう。そうこうしているうちに、富岡にたどり着く。最初は四季岬灯台に行こうと思っていたのだが、城があるらしいのでそっちを先に回ることに。富岡城は若干わざとらしいところはあるものの、当時の遺構と石垣をよく再現していてなかなか楽しいところだった。ちなみに銅像は、勝海舟頼山陽鈴木重成と鈴木正三。

その後、四季岬灯台へ。まあ寂しいところではあるが、ぼっち中級者であるところの僕が重視する「最果て感」はそこそこに高く、満足度も高い場所だった。ただしもうちょっと立派な灯台ならば言うことないのだが。

その後はまったりと海岸を走り、パールラインを戻る。きた道を戻るのは芸がないのだが、他に道がないので仕方がないし。絶景ろは何回走っても芸があるのだ!

その後は熊本へと戻り、ただひたすらに南下を続けて鹿児島に突入した。どこで休めばいいのか皆目検討もつかないまま困り果てつつも走り続け、道の駅阿久根にぶちあたったのでそこで就寝。走行距離はわりとまともでした。下道おんりーだからね。
走行距離 578.9km 燃費15.9km/l

九州ドライブ2日目

5時過ぎに加西SAで起床。身体に疲れは残っているが、思ったよりも眠れたことで気持よく走りだす。中国道を快調に飛ばして、途中安芸高田近辺でメーターは通算5,000kmを刻み、十時過ぎには関門海峡を突破。九州に初上陸。
ここで、佐賀〜長崎方面へ抜けるか、大分〜宮崎方面へ抜けるか思案。同じく九州にやってきている友人と打合せして、長崎回りに決定。天気もそれほど良くなさそうだったし、それならなんとか今日中に平戸や長崎を狙ったほうがいいだろうと。
まずは手始めに金印の志賀島へ。多少混雑する街並みを抜けてたどり着くも、曇り空でどうにも気分は晴れない。眺望も悪い。仕方なく、国民休暇村で風呂にはいることに。まあこんなもんかという感じだが、悪くはなかった。その後、福岡湾岸沿いの開発中の区画を眺めつつ、都市高速経由で唐津方面へ。名護屋城をチラ見するべくそちらを経由して平戸方面へ。名護屋城は強行軍日程なのでほとんど見ている時間なし。色々と陣屋跡もあって、じっくり見たかったけどまた今度。平戸近辺を走っていると、オートサーチしていたラジオからはハン
グルの発音が。平戸城を過ぎた頃には雨がものすごいことになってきたが、とにかく行くしかないと生月大橋に到着。

そこから生月農免道路を経由して大バエ灯台へ。もう風が強すぎて車外には立っていられないような状態だったが、とにかく走って先端を目指す。車も殆どいない。どんよりとした空、吹きすさぶ風、殴りつけてくる雨。何で僕はこんな所にいるのだろうかと考えてみるが、どうしても先っぽに行きたいのだという酔狂が故であり、そこに一切の合理性はない。だから考えるだけ無駄だ。なんて考えてみても、自分が一人で走っているという事実は変わらない。

大バエ灯台に到着すると、最果てにやってきたという感覚とともに、絶景度合いが減じられたこの風景を少し残念に思った。趣があると考えれば趣がある。ただしこれだって、別の表情があるのだから、それを見ることができなかったということに変りがない。まぁ、いいのだ。またくればいいのだから。しかし写真が悪い。ブレまくってる。

その後は長崎まで走って友人と合流。浜勝で食事を摂った後、長崎の夜景を見下ろす中々な銭湯に入り疲れを抜く。その後長崎自動車道を暴風雨の中慎重に走る。ほんと80km以上出してると強くなるので60kmくらいでゆっくりと走った。雨で視界が遮られるなんて久々の経験だったが、しかもこの車(AudiTT)は夜間視界が、アコードユーロRに比べて宜しくない。シートが低いからなのだろうが、センターが見分けにくいし。そんなこんなでなんとか走りぬけ、どこかのPAで適当に就寝。何かもうすごい疲れたの一言。
1037.4km走行。燃費14.1km/l

九州ドライブ1日目

4/29は失敗の連続だった。今更反省したところでなんにもならないのだが。
4/29未明は大渋滞が起こると予想し、それは昼過ぎにはおおよそ解消するのではないかという憶測を、僕は立てていた。というわけで、千葉県柏市を出発したのは13時少し前だった。いつものように県道8号に乗り、途中のガソリンスタンドで給油する。普段ならば混み合うはずの船取線も、今日は随分流れがよく、自然と上機嫌になった。旅のことを思うと、気分は弾む。花輪ICで京葉道に乗り込み、快調に飛ばす。急ぎすぎても渋滞に引っかかることは明白だったので、意図的に抑えるものの、順調に流れる首都高は否が応にも僕の気持ちを加速させた。しかし調布を過ぎたあたりで、高井戸から相模湖への渋滞が未だ解消されていないことを知ると一気に気分は萎えた。それでも、下道に降りて甲州街道をひた走った。高尾山口を過ぎた頃から、国道20号は渋滞を始め、ついには大垂水峠のあたりでピクリとも動かなくなった。30分ほどジリジリと動き、止まり、そしてまた動き出すことを繰り返していたが、埒があかない。仕方なく僕は引き返し、都道経由で津久井へ抜けることにした。そこから先をどうするのかという問題があったが、あまり深くは考えなかった。行ってみなければわからないのだ、どうせ。しばらく走ってR413三ヶ木交差点にたどり着き、道志みちを走るか否かを少しの間考えた。道志みちから河口湖畔を経由して、精進湖ブルーライン経由で中央道に復帰するシナリオ。これは九州に行くのでなければ、大変魅力的な道のりだった。ただし河口湖畔の渋滞が読みきれなかったこともあり、断念。迂回路にしては確実性に欠ける上に、距離が増えすぎる。仕方なく僕は直進し、R412からR20へと復帰するルートを選んだ。相模湖駅まではなんとか近づけたが、相模湖ICから上野原ICまではまだ渋滞があるようだった。R20大垂水峠越えを選んでいたら、ここにはどれくらいの時間にたどり着いたのだろうか。きっと遠回りをしたのかもしれないと思ったが、僕の人生はそういうものなのだから仕方が無いし、今更悔やんでも仕方がない。渋滞でイラついて精神をすり減らすよりはマシだろう、とポジティブに捉えることしかできない。相模湖ICで中央道には乗らず、上野原ICまでR20を走った。道は若干混んでいたが、進まないわけではなかった。上野原ICで中央道に乗ると、ETCゲートを通過すると同時に僕はアクセルを思い切り踏み込んだ。インジケーターでESPが作動しているのがわかり、背中がシートに押し付けられるような加速と共に車は前に進んでいく。速度に感応して、羽があがる。その時、17時30分をゆうに過ぎていた。
八ヶ岳PAについたとき、19時手前だった。中央道は混み合ってはいたものの、渋滞は少しもなかった。この時間でこれならば、名神の渋滞も無くなっているはずだった。つまり、この旅もどうにかこうにか軌道に乗ったということだ。僕はラーメンを申し訳程度に胃に納め、再び走りだした。岡谷JCTを過ぎ、恵那峡SAにたどり着いたのは20時30分。猛烈に眠い。しかし耐える。最近お気に入りのAQUOのブラックを頬張ると、そのまま走り続けた。毎度思うのだが、僕は普段は全くストイックでもなんでもないのに、車に乗っている時だけはありとあらゆる欲を抑えている。今回は、食欲と睡眠欲がそれだった。自分を痛めつけるかのように、その2つを最小限におさめるように行動した。
小牧JCTを過ぎ、名古屋に入る。一宮、羽島を過ぎて米原JCT。多賀SAについたとき、僕はふとかばんを開けてみた。このSAにはレストハウスがあり、欲情が併設されているのだ。それに入ろうと思い立ち、荷物からおふろセットを取り出そうとした。と、かばんを開けた瞬間になにかがおかしいことに気づく。注意深く荷物をまさぐってみると、何かヌメるような感触が指先に走る。そう言えば、何かフローラルな匂いが漂っている。嫌な予感とともに、僕は荷物をすべて取り出して、中身を検めた。おふろセットとしてこの手の旅行には持ち歩いていたボディーソープの蓋があいていた。そしてそれがかばんの中にぶちまけられていたのだ。とりあえずぶちまけられたボディーソープを、数年前にどこかのGSでもらったティッシュで拭きとり、ベトベトになったおふろセットを処分すると、全てが投げやりな気分になって、僕は再び車を走らせた。風呂のことなどどうでも良くなってしまった。西へ行こう。西へ、西へ、西へ。
名神高速をひた走り、吹田JCT中国自動車道へとスイッチする。頭はぼうっとして、全身の感覚も怪しい。もうだめだ。けれど、走る(いけません)。行けるところまで行っておかなければならない、という強迫観念に取りつかれ、僕はひたすらに西へと驀進した。日付が変わる頃、僕は意識が途切れる寸前であることをはっきりと認識し、自らにSOSを出した。そうして加西SAに滑りこむと、僕はそのまま眠った。酷使された意識は、すぐに眠りに落ちた。明日は九州だ、と溺れていく最中につぶやいた。
1日目 走行距離672.1km、燃費14.5km/l

九州ドライブ0日目

僕は遠くに行こうと思っていた。北海道にも四国にも山口にも行ったことがあったが、関門海峡を自ら渡ったことはなかった。端っこが大好きな人間にとって、九州は憧れの地だった。ただ、自宅から九州の玄関口である門司の間に横たわる1,000km超の道のり、そして越えなければならない渋滞の三極(阪神、名阪、静岡〜東京)のことを考えると、常に及び腰だった。九州に行くという考えは、可能であるにもかかわらず実現困難な現実、つまり夢想に等しいものとして認識されていた。少なくとも、一週間以上の休みが必要だということはわかっていた。そして、さらには暑い時期を外さなければならない(貧乏旅行につきものの車中泊ができないので)という条件が加わる。それらを勘案すれば、ゴールデンウィークしかありえないのだが、実際問題この時期は仕事の都合上、カレンダー以上の休みは難しかった。が、今年は休んだ。目も当てられないほどの失敗を繰り返しながら突っ走ってきた4月を何とかしのいだご褒美として、僕は強引に5/2を休むことにしたのだ。これで、4/29から5/5までの一週間が休みになる。行くしかない。僕は迷わなかった。高速1,000円も終りが見えてきた。今をおいて、時期はない。
そしてさらに言うなら、僕には一つの観念があった。それはあの震災の日からずっと考えていたことだった。自分の周りにはありとあらゆる光景が溢れている。それらに対して、僕は常に辿りつく可能性を持っている。ただ、何だかんだと理由をつけて、「今は行かない」だけだ。それは「いつでもいけるから」だ。しかし、世界のすべてが常に同じ姿をとどめているわけではない。世界が昨日と同じ姿であるということは、それだけで僥倖なのだ。「いつでもいける」のならば、今行くべきだ。機会を逃してはいけない。僕はそうやって自分を説得した。ツーリングマップル九州を丸善本店で購入し、全ページをチェックして、行きたい場所はとりあえずページの耳をおる。金を下ろす。着替を用意して、鞄に詰め込む。旅慣れたものだと僕は思った。走るだけだ。旅そのものに不安はなかった。そう、最初からそうだったのだ。やるかやらないか、たったそれだけのことだったと僕は今更に認識した。