「きみはいい子」を見ました(たぶんねたばれあり)

誰かに優しくされたら、その分だけ誰かに優しくできる(しなければならない)、とは誰が言ったか忘れたが、僕の中では強く刻まれていることである(近頃忘れていたのではないか、とも思うが)。
尾野真千子の演じる一児の母は、愛娘に暴力をふるってしまうことをやめられずにいる。己の体験として、忌むべき行為であることを理解しつつも、やめられない。暴力の連鎖は後半において暴き出されるが、これは逆説的に愛するためには愛されることが必要であるということであろうか。
人間は困難な毎日を生きている。その困難さは、人それぞれ大小異なるが、誰にでも存在するものだ。うまくいかないことも、認められないことも、間違っていることもある。そんな中で何かを選び取って、行動をしていく。誰もが、許されたがっている。認められたがっている。心の底では、そう考えている。高良健吾が甥に抱きしめられるシーンは、心安らぎ、勇気づけられる。戸惑い、涙ぐみながら受け入れていく様子は胸を打つ。
小学校のパートでは子ども社会の制御のきかない残虐さがうまく切り出されており、母親同士のパートにおいてはその関係性の居心地の悪さと猜疑心の表出が絶妙である。そして、独居老人の無縁な立場が対象的である。三者の立場は、非常にリアリティを持って迫ってくるため、他の要素を補強する。
ラストについては僕はこれでいいと思う。極私的な領域である「家庭」に対して、教師という立場で介入することは非常に困難であろうことは、容易に想像できる。しかしなお、その困難さに立ち向かおうとする勇気を肯定的に浮かび上がらせるいいシーンだった。全体として、見るものに不安な気持ちを呼び起こさせるシーンが多かっただけに、転機となる抱擁からの救いの連続、そしてラストシーンは肯定されるべきだろう。
いい映画だったと思います。