「放浪息子」(11) 志村貴子/エンターブレイン

放浪息子 11 (ビームコミックス)

放浪息子 11 (ビームコミックス)

アニメの放映を1/13からに控え、ますます盛り上がる「放浪息子」。まぁ、一抹の不安もなくはないのだけれど、良い作品になることを祈っとります。
さて、今巻。子ども、幼さという枠の中で、相反する「性」を辛うじて留めることが出来ていたシュウは、抗うことのできない「成長期」に襲われてしまう。低くなる声、背が伸びるに伴い追い越してしまう彼女の背。身体がきしむ音は、シュウの心と体が引き剥がされていく音に他ならない。社会的に定められた性としての「女」から、ますます遠ざかっていく自分の身体への恐怖/もどかしさは、彼だけのものだ。もしそれを共有できるとするならば、それはよしのに他ならないが、彼女は彼女で恋心という名前の葛藤を抱えている。
収録されている話の中では、「男」であること、「女」であることを強調するシーンが繰り返される。それはシュウやよしのに限らず、この年齢では未分化でありうる性を社会的属性として分化させ、整理しなおすかのように、普遍的な話として何度も何度もあらわれる。恋愛話や、モモ・ささちゃんの生理は象徴的なエピソードだと思う。「かわいいから」女の子の格好をしていても違和感がない、という、自分を知らない誰かの視線で構成された世界の崩壊はすぐそこにきているのということなのだろうか。そしてそれが、性的成長による分割によるものだということはとても残酷だ。しかし、それに対してはっきりと戦っていくというシュウの宣言こそが、P171の「それをなんでお前が決めるんだよ」だ。
放浪息子」は社会における男女の役割(コード)と自己の性意識との間にどのようにして折り合いをつけるかという話であることを考えれば、今のところは予想の範囲内の話だと言える。もっとも、以前からトランスジェンダー的な傾向は薄いように思うし、むしろ社会的規範から逸脱した志向に対する優しい視線という趣のほうが強いように感じられるから、性意識という言葉は強すぎるかもしれない。異端であることを許されない社会の中で(特に10代はそうだ)、どうやって自我を確立していくかというのは冒険に等しい。侮蔑や冷笑という社会的集団における排除の原理と戦いながら、一方で自分自身の身体と戦わなければいけないシュウとよしのの二人はこの先どうやって歩いていくのだろうか。思春期の二人にとって、それは残酷な戦いになるのかもしれない。
敷居の住人」でも結構重要な役回りだった兼田健太郎先生が今作でもかなり重みを持ってきたことは、「敷居」オタとしては素直に喜びたいところ。兼田嫁も出てきて、大喜び。どうせだからミドリちゃんとキクチナナコも出ませんかね。ムリかな。ミドリちゃんデリカシーないもんなぁ。しかしまあ安那ちゃんがシュウの体を見てあたふたしたり、ドキドキしちゃったりと、感情の振れ幅の表現も大変可愛らしくて大満足でございます。