むかしの同級生が死んだ

ので、通夜に行ってきた。
彼とは、かれこれ13、4年くらい会っていなかった。この長いブランクについて言い訳するならば、途中で住んでいるところが変わったことと、僕自身がとてつもなく人と相対することが怖くなった時期があり、そこでぷつりと切れてしまった縁たちの中に彼も含まれていたのだ。同級生だったころは、仲は悪くはなかったと思う。僕としては今なお好感を持っているのだから、むしろ良かったのだろう。相手がどう考えていたのかは別として。
ある日突然、微かに繋がっていた過去の縁を伝って電話がやってきて、彼の死を知ることになった。教えてくれた友人の声はとても震えていた。その悲しみの深さは、携帯電話を通じて僕にもはっきりと理解できた。しかし、応答をする僕の声は恐ろしいくらいに平静だった。彼の名前はすぐに思い出すことができたし、彼が死んでしまったという事実もあっさりと受け入れることができた。そしてそれを当然のように悲しいと思ったのだが、僕は友人のようにそれを表に出すことができず、とても戸惑った。電話の向こうで、友人は僕を冷たいやつなのかもしれないと訝しんでいるのではないかとすら思った。実際、僕は冷たいのだと思う。とても可愛がってもらった祖母が死んだ時、僕は泣くことができなかった。13年前の話だから随分前の話だが、この事実は僕にとって烙印のようなものだ。母も、妹も、叔母も、従姉も泣いていた。なのに、僕だけはどうしても泣くことができなかった。そのことに、当時の僕は戸惑った。その感覚と再び出会うことになるとは思ってもいなかった。通夜と告別式の日程を教えてもらうと、電話を切り、布団に潜り込んだ。感情は少しだけ昂っていた。悲しみのせいなのか、自分に憤っているせいなのかはわからなかった。微かに痛む頭のせいで、ぱちりと目を開くと、真っ暗な天井に彼の顔が浮かんだ。きっと彼の顔は昔とは全く変わっているに違いないのだが、僕の中にはあの年齢の彼しかいなかった。逝ってしまった人の顔を見ても、涙が溢れてくるようなことはなかった。そういう事を考えている自分が、彼のことをひどく冒涜しているような気がして、いたたまれない気分になった。
話によれば、彼は交通事故で死んだのだという。けれど、それ以上のことは何も聞かなかった。いや、聞くことを忘れたのだった。僕はすぐにバイクだろうと決めつけたのだが、それは昔バイクで死んだ友人がいるからだった。彼がバイクに乗るのかどうかということは、ちっとも知らないのにも関わらず、そう決めつけた。
翌日、僕は通夜に行こうと思った。一体、どの面下げて彼に会いに行けばいいのだろう。それが全くわからなくて、自分自身にイライラした。それは電話をくれた友人への体裁を繕うためなのかと思ったが、自問してみるとどうも違うようだった。僕は確かに悲しかったが、彼という存在の喪失に対し、同情しているというのが正しい表現なのかもしれない。僕と彼の人生は、別れてから一度も交わることはなかったから、互いの存在は互いの記憶の奥深くに埋められていたはずだ。もしかすると、向こうは忘れていたかもしれない。そんな関係だけれど、広い世界でわずかでも時を共にした一人として、そして27歳という同じ年齢の人間として、その死はあまりにも唐突で、そんなに急いで彼を連れていかなくてもいいじゃないかと、言いたかった。まだやりたいこともやり残したことも山ほどあるだろう、何も持たずにほとんど孤立しているような生き方をしている自分とは違って、きっと色んな人に囲まれて生きていたのだろうから。そう考えると、やはり僕は彼に同情的な悲しみを抱いたことは間違いないようだった。
そうして通夜の日が来た。黒いスーツを着て、電車に乗って葬祭ホールに向かった。道すがら、彼になんと声をかければいいのかということを考えると、胃のあたりがずんと重くなった。久しぶり、残念だったね。違う、なんだそれは。君は死んでしまったけれど、君の分まで……。そんなことを言える義理もない。君は死んでしまったけれど、僕はまだ生きている。のうのうと、目的もなく生きている。遺憾ながら、死ぬ理由もないのでもうしばらくは生き続けるよ。率直な気持ちとしてはこれなのだろうが、あまりにも故人を小馬鹿にしているように思えた。けれど、思い出を語りかけて懐かしむことが出来るほど、彼の存在は僕の中で素晴らしい位置を占めているわけではなかった。過去の記憶のほんのかすかな一部分でしかなかった。霊前において、嘘を言うのは気が進まなかった。死んだ相手に嘘を吐くのは、悲しいポーズを取ることができない以上に、僕の中では侮辱的な行為のように思えた。
斎場についても、友人は見当たらなかったし、他の知り合い(これもやはり13、4年は会っていない)の顔も見当たらなかった。知らない顔ばかりだった。受付を済ませて式場の中に送り込まれると、引き伸ばされた彼の写真が圧倒的な存在感を持ってそこに鎮座在していた。それを見て僕はとてもショックを受けた。彼の顔は、あの頃から少しも変わっていなかったのだ。黒目の多い瞳も、少し出っ歯で、少しすぼんだ口も、そして優しげな表情も、何も変わっていなかった。ただ、あどけなさはちょっと失われたようだった。彼の写真を見て、僕はごちゃごちゃと考えていたことを後悔し、ここに来てよかったと思った。誰かがすすり泣く声を聞きながら、僕の身体はわずかに震えた。壊滅的に存在そのものを奪われた人がそこにいて、それが僕の友人だったのだということを理解した。
やがて通夜が始まると、弔辞が読まれた。彼の高校時代の恩師と、職場の同僚だった。先生の読み上げる声は震え、時々詰まった。その内容には少しも飾るところなどないように思えた。同僚の弔辞は、信頼と友情にあふれていた。果たされなかった約束のことを問いかける声は、やりきれなさで一杯だった。読み上げられる言葉のおかげで、僕は14年というギャップを埋めていくことができた。彼は進学校に進み、一年浪人して国立へ行き、公務員になった。周りから信頼され、愛されていた。全てがうまくいっていたのだろう。僕とは大違いだった。そうして行き着いた先は、そんな素晴らしい彼が死に、下らない僕が生きているという、世界の不条理と残酷さだった。どうでもいい人間は死なないものなのかもしれない。ふとそんなことを考えたが、すすり泣きが僕を現実に引き戻した。
僕が死んでも、きっと今日のようにはならないだろう。誰かが悲しんでくれるのだろうか。親くらいは悲しんでくれるかもしれない。けれど、他の誰かは……。そしてそんな自分を親に見せたいとは思わなかった。だから、孤立している人間は人より先に死んではいけないのだと、その時ふと思った。彼と繋がっている人達がやってきて、彼の喪失を悲しむ。切断の痛みによる哀しみを排泄する。互いの関係が強く結びついているほど、断ち切られたという痛みは強く感じることになる。細くあえかな繋がりなど、切られたところで微かな痛みにしかならないのだ。人は一人で生きてはいない。そんな当たり前で、こういった場で否応なしに突きつけられる社会的現実は、普段からの認識以上に重いものだった。
焼香はすぐに済んだ。祈るとき、僕は前もって考えていたほとんどのことを忘れて、両手を合わせてひたすらに祈りを捧げた。祈りの内容はよく覚えていないが、おそらく想像力のない自分のことだから、安らかに眠れ、なんてことを言ったのだろう。でも、それで良かったのかもしれない。彼の写真の前で、僕の頭は真っ白になって、胸が押しつぶされるような気持ちで両手を合わせることしかできなかった。自分のことを考えるような余計なことは、あの場では不可能だった。
読経が終わったあと、彼との対面が叶うというので残ることにした。廊下には式場に入りきらなかった人たちの焼香を待つ列が、延々と続いていた。それを横目で眺めながら、一人でぽつんと烏龍茶を飲んでいると、ようやく友人の顔を見つけた。かけよって挨拶すると、色んな人、つまりは昔の同級生を紹介されたが、わかるものもあればわからないものもあった。ただ、その場ではわかっているふりをした。顔と名前は完全に乖離していて、面影のある顔は名前を失い、強く覚えている名前は顔を失っていた。一致したのは両手で数えるほどで、クラス全員というわけにはいかなかった。本当ならば、僕はあの場にいた人間のうち、30人くらいとは知り合いだったはずなのだが(同級生なのだから当たり前だ)。友人に彼の交通事故について聞いてみると、詳しいことは聞いていないが、ニュースにもなったのだという。バイクではなく、歩いているときのことだという。終電を逃して、歩いていたときのことだそうだ。それから、友人は僕にビールを注いでくれた。僕はそれを常よりも速いペースで干した。その行為には何の意味もなかったが、そうしたあとで、僕は記憶と認識の不一致による不安を解消するために、もう少し飲もうと思った。小心すぎて、反吐が出そうになったが、そうでもしなければ僕は不確定的存在たちの中で悲しい顔をして立っていることはできなかった。
やがて順番が来て、他の友人と、彼に対面するために棺の横に立った。彼の顔は記憶と違わずとても小さかったが、死化粧の不自然さは隠せなかった。交通事故で、顔がぐちゃぐちゃになってしまったのだろう。棺の横で僕は全身が震えた。これが彼の運命だったのだろうか。運命という一言では片付けたくない何かが、死化粧の下に隠されているような気がした。かろうじて安らかな表情を取り戻した彼は、僕の目には少しも満足していないように見えた。そしてそれから、彼の両親に挨拶をした。おそらく、一度くらいしか会ったことがないし、向こうも名前を知らないだろうが、とにかく昔同じクラスだったことを言っておくやみを伝えると、「引越しをされた……」と言われたのでびっくりした。そして、「○○の分まで生きてね、ほんとに……」と言われ、僕の顔は真っ赤になった。誰かの分まで背負って、胸を晴れるような人生は歩まないだろうし、歩んできていない。僕は孤独ではなく、孤立している。人と人の間には存在せず、発見されるのを待つだけの離れ小島だ。どうしようもない、つまらないクズだというのに、そんな言葉をかけてもらう価値はないというのに。そのとき、僕の中で込み上げてくるものがあったが、それが涙という形を取ることはなかった。
それから僕はなんども、ああ、と溜息を吐いた。どこでボタンを掛け違えたのか、彼はあんな姿をしている。正真正銘の「今」、おそらく彼は棺の中で身じろぎもせずに眠っている。そして僕は。この圧倒的な差が、僕には許されざることのように感じられたし、「今」でもそう感じている。そしてこの差はどうして生まれるのだろうか。僕はビールのせいで少し痛む頭を抱えながら、この日記を書いた。ろくに推敲せず、叩きつけるように書いた。そして僕は眠りにつくのだが、朝起きてみてこれを読み返してみたとき、また溜息をつくだろうと思う。溜息を重ねていくうちに、そういうものだと受け入れて鈍していくことで、僕は折り合いをつけるのだろう。唐突に失われた彼の命をどうやって説明すればいいのだろう。まだ27歳だ。もう27歳だと自嘲したこともあったが、他人のこととなると、まだ、と考えてしまう。やりきれない。彼は何故死んだのだろう。僕はこんなにも簡単に生きているというのに。