「イエスタデイをうたって」(7)限定版 冬目景/集英社

久々のあたり巻!!
ということで、どう考えてもはっきりしないといけないのはリクヲの方なはずなのに、なぜかしなこやハルちゃんからはっきりと好意を示していってくれる、ある意味ギャルゲ的展開が延々と続く今巻。6巻から引き続き、美術予備校講師の雨宮さん(大学四年)は登場し、ハルちゃんにアプローチをかけまくるわけですが、ハルの反応は芳しくないどころか、やっぱりリクヲが好き!的な健気さを発揮し始める有様。これが結果として(ある意味では)リクヲに感情移入している読者にとってはハルに対する独占欲とをかきたてるというありがちな構図。リクヲにとってハルちゃんは可愛くて大切な存在で、いつしか自分の一部であるかのように考えているが、そうであるという表明をしたことはないし、そう伝えたこともない。表面的には未だに1巻から延々と続く、ハルからリクヲへの一方的な感情通行の状態である。そんな中で、他の男(雨宮、6巻登場の湊)にイライラしたりモヤモヤしたりするリクヲは、しなことの関係が進展したこととあいまって、ギャルゲ主人公的な鈍感さを遺憾なく発揮して、絶妙な距離を保ち続ける。ハルちゃんはけして幸せにならないことで、その健気さという最大の魅力を読者に見せつけてくれるのだ。一方で、先に述べたとおり、しなことリクヲの関係は今巻で大きく進展する。27歳近くにもなって、キスすらできない、お互いの身体を限りなく近づけることさえ難しい、そんな中学生的恋愛を繰り広げることの是非はあろうが、しなこの「勇気」の無さは、初登場時から大きくスポイルされていった「大人の女性としての魅力」と正反対の、「成長できないまま大人になった彼女の可愛らしさ」をより協調する。ハルとは違った方向に健気なしなこは、自分自身を過去から解放し、リクヲに向けていこうと努力している。そういった意味では、ここにも独占欲を満たす要素がある。ただし今日日こんな恋愛がそうそうあるだろうかというのはあんまり考えてはいけないのだが。
ちょっと考えてみると、冬目景作品においてはセックス、及びセックスのもたらす効果が極端に除外されていると簡単に気づく。「羊のうた」では千砂と一砂でそのような関係になったと考えられなくもないが(記憶の中ではそのような直接的描写はない)、他では全くと言っていいほどない。それは冬目景の意図されたことなのか、それとも作家性による傾向でしかないのか。しかしながら、「イエスタデイをうたって」では、セックスを通した「関係性の変化」を明確に描くことが、この堂々巡りを抜け出しつつある三角関係を脱することが出来る、ひとつの有効な手段となり得るだろうから、今後どのように展開していくのかは期待している。恋愛漫画にセックスは必要なものではないが、ハルとリクヲ、しなこのように、ここまで長くなりすぎた関係を強引に変化させるにはちょっと踏み込んでみる必要もあるのではないかと僕は思っているので上記のようなことをあえて書いたが、他の人はそうは考えないかもしれない。別に朝チュン程度でいいと思うので、冬目景は表現の殻をあえて破らないものかと期待する次第。
ちなみに特装版についているポストカードブックは切り離して使うタイプであり、逆説的に切り離して使うことは全く想定されていないのであろうということを書いておく。http://twitpic.com/38595r