「ゴットハルト鉄道」多和田葉子/講談社

ゴットハルト鉄道 (講談社文芸文庫)

ゴットハルト鉄道 (講談社文芸文庫)

表題作の文体というか文章を読んでいると、まるで自意識をと心情の艶かしさが文章からあふれ出てしまった須賀敦子のようではないか、と思ったが、続く「無性卵」「隅田川の皺男」の短編小説を読むと、これはどうも違う。「ゴットハルト鉄道」はドイツ語で書いたエッセイを日本語に編み代えた際に小説になった、と著者自身が述べているとおり、これは小説とエッセイの狭間に属するものだろう。もっとも、これは須賀敦子の文章についてもほとんど同様のことが言えるので、僕が冒頭のようなことを感じたのも無理はないのかもしれない、と思うと自己弁護。
後二編の小説については、ストーリー以前にディティールに凝った構成をしていると感じた。日々の生活のディティールの中から差異やあふれ出してしまったものを物語の筋と絡めて上手く仕立て上げるというやり方。上手いとは思うものの、やっぱり文「芸」の方に寄ってる人なんだなと感じる。しかし、この人の文章の艶かしさはなんとも言えない。性についてのエピソード、心情、しぐさなどの描写表現が自覚的に作中で使用されているが、そちらに眼をとられると見誤る気がする。こういうと語弊があるかとは思うが、わりと男性的な内容。性について絡めてるのは、ある種の反抗、もしくは発信かと感じた。

自分は世界の記号をも誤読する権利がある。
pp.179

しかし、解説で柳田国男の「妹の力」社会学に絡めてるおじさんは何なんだ。シスプリ思い出してしまったじゃないですか。