「モンテ・フェルモの丘の家」ナタリア・ギンズブルグ/筑摩書房
ナタリア・ギンズブルグで一番好きかも。情に訴えかけてくるから? 「ある家族の会話」がどうだったか忘れているだけに、何とも言えないけれども。
- 作者: ナタリアギンズブルグ,Natalia Ginzburg,須賀敦子
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1998/10
- メディア: 文庫
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とにかく前半から中盤までは、惜別の情に満ち満ちている。「あなたがいなくて寂しいよ」といった類の手紙が頻繁にやり取りされ、主人公であるジュゼッペの属する友人関係はほほえましく、そして羨ましく思えるものとして描かれる。ジュゼッペがアメリカに渡り、そして彼の友人であるルクレツィアが不倫を始める頃から歯車が狂っていく。……そう、これは喪失の小説であると言える。そしてタイトルになっている、モンテ・フェルモの丘の上に立つ「マルゲリーテ」という屋敷こそが、ジュゼッペやルクレツィア、ピエロ、エジストらが集まり、心置きなく語り合い安らぐことができる場所だったのであるが、これも家主であるルクレツィアとピエロの関係が崩壊するに伴って、人手に渡る。そしてかつては仲睦まじかった彼らは、それぞれの環境が変化していくのに伴ってばらばらになっていき、いつしか彼らを結び付けていた不可視の紐帯とでも呼ぶべきものを失い、ばらばらになってしまう。
この小説には救いがない。登場人物は誰も彼もが最終的には孤独という枠へと落ち込んでいく。たった一つの例外は、アルベリーコであるが、彼とて幸せな結末を迎えたとは言いがたい。しかし、人間は必ず喪わなければならないのだ、と仮定するのなら(個人的には断定でいい)、彼らの結末は妥当なものなのかもしれない。最後に配置されている、ルクレツィアの手紙だけが救いである。今でも私はあなたのことを覚えています、というような内容の言葉だけは真実だろうし、孤独からジュゼッペを掬い上げてくれるかもしれないからだ(しかし、このルクレツィアの愛情に対する応答は配置されていない。とするなら、彼女もまた愛情を放射したまま、反応を得ることもできず、独りでいるということになる。孤独な余韻そのものだ)。
それから、彼と僕とは興味を同じくする話題があまりないようだ、とも言ってやった。そんなことはどうでもいい、と彼は言った。会話の話題などなくとも、人間ふたりいっしょにいることはできますよ、だってさ。たしかにそうだ。(p.54)