AngelBeats!!を見終えて

まあ、感想は色々あるし、それを巡る狂騒曲についても思うことがないでもないのだけれど、僕がおっさんなんだと思わされるだけだから言わないでおこう。以下は適当な感想として、というエクスキューズの元に記す。
で、思ったのは、麻枝さんは自分のフィールドから降りて乾坤一擲の勝負をかけたのは失敗だったね、と。やっぱり彼はエロゲー的な人であって、シナリオの書き方がそもそも三行テキストをとめどなく流すスタイルなので、尺が決まりきっているアニメの場では良さというか培ってきたやり方が全然生かされないのではないかと。
僕はMOON.からCLANNADまではかろうじてプレイしている人間だけれども、当時はそれなりにはまったものである。多分、今でもAIRだったら泣いちゃうんじゃないかという自信はある。ABとそれらのゲームたちの違いは何かと言うと、それは明確なまでに綴られ、プレイヤー(=視聴者)の中に蓄積していくコミュニケーションの分量と親密さだろう。主人公は、今考えるとびっくりするくらいの幼さを持ったヒロインたちと、うんざりするくらいじゃれあって、笑って、そして時には慰められたり。そんなことをしていたから、彼女たちの涙と、その悲しみに触れたとき、それを解決しようと努力する主人公とその姿勢に割にすんなりと入っていけたし、少なくとも否定的にはならなかった。対してABでは音無は主人公であるが視聴者の移し身ではないし、そもそもキャラクター相互のコミュニケーションが不足しているのだ。はじめに与えられた関係性から変化するには、それ相応の理由付けが必要となる。そこのところ「なぜか」すっ飛ばしているのだから、視聴者としてはたまったものではない。それは日向がゆいを救うところで顕著であると感じるし、ゆりが奏に急に馴れ馴れしくしたり、音無が急に成仏推進派になったりするところでも現れている。過程を描くことで感動を作ってきた人間が、過程を省いて感動を作ろうとしたのだから、それはもう最初から勝負を放棄しているのと同じだ。唯一しっかりと描こうとしたのは音無の奏への思い入れくらいのものだが、それすら上手くいっていない。なぜか。視聴者たる僕が、音無の行動や思考を上手くトレースできなかったからだ。それが僕だけなのかどうかよくわからないが、多分少しくらいの賛同者はいるだろう。
もっとも、得意の手法で勝負しようとした痕跡はくっきりと残っている。それは未練という名の、キャラクターが個々に与えられた「トラウマ」の披瀝だが、あまりにも唐突でしかもお涙頂戴的に繰り返されてしまったため、狙い通りの効果が得られたかどうかは疑問だ。トラウマを展開させるなら、それは一回きりで良いのだ。それ以上は冗長になり、シナリオ上の効果を殺してしまう。突き詰めると、ゆりのトラウマなんていらなかったろうし、シリアスに展開させるのは音無と奏だけでよかったような気がしないでもない。また、多すぎて捌き切れなかった感のあるSSSの面子は半分くらいでよかったのかもしれない。あの唐突でカジュアルな成仏には首をかしげざるを得なかった。
別に、もっと尺を長くすれば傑作になったんじゃ、とは思わない。色々なことが咬み合っていないのだから。それに、今現在の時点では麻枝さんはアニメの脚本にむいていないのだし。