「娚の一生」(3) 西炯子/小学館

娚の一生 3 (フラワーコミックス)

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70Lの袋に入る人生か……

70Lという容積に凝縮されてしまうちっぽけな「わたし」の人生を思い知り、口の端をかすかに吊り上げてつぐみは笑った。失うことを恐れ、自分が大切にしているものだけを身の回りにおいて、一人きりで生きようとした。そんなちっぽけな人生は欠損があった。心の底で求めていた、誰かとのつながり、誰かを愛し愛するということ。愛されるだけではない。打算のない愛情に、彼女は飢えていた。都合のいい女という立場に安住し、失ってきた恋に恋々とすることで自らを慰める。「幸せってなんだろう?」と述懐してみたところで、彼女は自分自身の欠損を無視して、自分は幸せでもなければ不幸せでもないと結論する。自分が不幸せであると考えられるのなら、それは幸せがどういうものなのかということを理解できているということになる。もちろん、人の欲望にはキリがないので、次の不幸が現れるかもしれないが。
正直になれ、素直になれ、と言い続ける海江田は彼女にとって自分の決意を毀損する存在だった。しかし、自分自身を騙す甘く心地よい言葉ではなく、時に辛辣で、時に真を突いた言葉で、自分は何を隠し、本当は何を求めているのかということに気づかせてくれたのも、また海江田だった。たったひとりで、満ち足りているかのように思える人生を生きるという決意はそうして崩壊していく。
中川が戻ってきたことにより、失われたはずの恋が復活したかのように思えても、もう彼女は迷わなかった。破局が約束された結末によってもたらされる愛よりも、行き先のわからない愛に身を任せようと考えたのだった。甘い言葉の裏は影が巣食っていて、見せかけだけで自分にとって本当は大したものではなかったのだということに気づいたとき、もうつぐみには答えがわかっていたからこそ、中川ではなく、海江田を選んだのだった。
こうして、自分自身ですべてをまかなおうとする女でも男でもない「娚」の一生はこうして終わり、堂園つぐみは女に戻ったのではないか。女には男が必要だし、男には女が必要なのだ。そういうふうにできているのかもしれない。
3巻中盤からのジェットコースター的展開には「そりゃねーよw」の一言だったものの、綺麗なオチがついてかなり楽しませてくれた漫画だった。うん、おすすめでございます。