「鈴木先生」(4) 武富健治/双葉社

鈴木先生 4 (アクションコミックス)

鈴木先生 4 (アクションコミックス)

進化論を受け容れるのか容れないのかっていうアメリカの問題があって、日本人の僕から見れば、というかキリスト教的価値観に左右されない日本式教育を受けた僕から見れば、それは「当たり前のことを何でこんなに騒ぐんだ?」という感想に落ち着く。そこにあるのは無意識のうちに前提として受容済みであるという事実だけで、そのこと自体については社会的には何ら深みを得ないだろう。一見当たり前であることを真面目に考えてこなかったからこそ、様々なほころび(いわゆる欠陥と呼ばれる事象)が見られるようになっているのではないだろうか。
そう考えてみると、「鈴木先生」では一見下らないことから当たり前に思えることまで、簡単な答えで済ませないことで、そして教育者である鈴木自体が明確な答えなどないと言い切った中で信念に基づいた指導を展開して見せることによって、何気なく与えられてきた社会的な通念や常識といったものを、作中の生徒たちにも、そして読者にももう一度考えさせる。登場人物が有する、中学校というごく狭い範囲において横溢する「過剰なまでの真剣さ」は、素人演劇的なわざとらしさを装ってページの中に現れ、一見として読者を笑わせることがあるかもしれないが(山際はクスリやってそうな表情だなあとか竹地のニヤリこえーよとか)、その実として全く不必要な演出ではなかった、というのはまあ三巻の解説を拝借するとしても、こういったある種馬鹿なくらいに生真面目に常識だとか教育的問題を扱っているこの漫画が新鮮に感じられてしまうのかということ自体、現在のそれらをめぐる環境がいかに無関心であったのかということの証左ではないのかなという気がする。
4巻の解説についてはノータッチw