関係は

すべて理解/無理解に還るからこわいですね。オルタナティヴが「どうでもいい」、か。三つ選択肢があるうちの、二つはわかってもらえないということになる。だとしたら、苦労して説明する必要なんてないんじゃないか、なんて臆病な僕は時々考える。人間はわかりあうことなどできやしないし、許しあうこともできやしない(僕はそう考えている……)。いつも誰かのことを非難しているし、その一方で褒め称えている。単純化するなら、理解の脇に無理解があって、無理解の脇に理解がある。それだけのことだ。二者択一なのに、どうもネガティヴな方向へ方向へと思考が流れていく。しかしそれでも、僕は根本的には理解しようとしなければいけないのだということが、正しいのだと確信している。救いようがないな、と思う。理解できな/されなかったとき、僕は手を伸ばして彼/彼女の腕を掴もうとはしない。振り解かれるのがこわいから。