コードギアス 反逆のルルーシュ

無印とR2、両方見た。無印だけではスッキリしないことこの上ないので、リアルタイムでの視聴者はR2までよく待てたなあと思うのだが、いや実に面白かった。あの結末で全部許せた。
無印ではルルーシュは極めて個人的な事情に基づいた行動を日本解放という大義に偽装していたため、行動に一貫性が欠け(ただしナナリーのためという一点で一貫性はある)ており、視聴者としてはアンチヒーローであるはずの彼の人間的な弱さばかりがクローズアップされていらいらすることが多かった。ユーフェミアの行政特区日本を受け入れることを迫られたときに、その看板を否定することができなかったということが、ルルーシュ/ゼロの限界であったように思う。その決断を彼にさせることなく、ギアスの暴走によって破壊的に乗り切らせた脚本はどうかとは思う。力の代償としての業を背負わせたということなのだろうが、すっきりしなかった。そこには決意と信念が足りなかった。
R2において、ルルーシュは帝国=シャルルへの復讐の念を一層強め、スザクとの友情の否定するに至った(後に情けなく復活しかけるが)。全ての真相を知り個人的な事情を捨て去るに至って、完全なアンチヒーローとして成立する。R2後半の彼は視聴者をいらいらさせることなく、決意に充ち溢れた行動を選び、そして迷わない。過剰なまでに愛する者たちに流されてきた彼の行動は、名実ともに大義と同一化した。つまりは、そのような意味においてコードギアスビルドゥングスロマン的であるということもできるのではないか。そしてこれはスザクにおいても裏返しにして同じことが言える。個人的な事情による決意を「ランスロット」によって撒き散らし、押し付けてきた彼もまた、真実を知るにいたりユーフェミアというわだかまりを飲み込み、大義のために「願い」のギアスを受け入れるに至る。
ゼロレクイエムは、二人の主人公が世界から置かれた立場の根源的転倒であり、大逆転勝利だった。世界の災厄としてのルルーシュは、全ての憎しみと、暴虐と殺戮の記憶を抱えて消え去った。扇やコーネリアなどの個人的な決意に殉じる人々は、その思いを知ることができず、舞台装置の一部となる。彼らから憎まれ疎まれ嫌悪されるルルーシュに対して、僕はとてももどかしかった。しかし、最後の最後にこの逆転が行われたことで、ルルーシュを裏切ったり、憎んだりした全ての存在に対して勝利を収めたのだとわかるととても救われた気持ちになった。そして、ゼロレクイエムの真意を理解した幾人かの中でルルーシュは生き続け、そしてナナリーに「愛しています」と言われたことで彼は最終的に全てを手に入れ報われた。これ以上ない結末だった。ただし、C.C.の願いは結局聞き届けられなかったので、その辺はどうなのかなというところ。最後は笑ってたけれどね。
作品ではコロニアルな状況を舞台にしているのはよかったと思うのだが、もう少し無印の方で掘り下げても良かったのではないかと思う。それをしなかったから、ルルーシュは行政特区日本を拒否する言葉を持たなかったのだろうし、日本で作られたアニメとしての限界になってしまう。もっともルルーシュは日本人ではなくてブリタニア人なのだから、否定出来ないのは当然なのかもしれない(だとするなら、やはり日本製アニメとしての限界だろう)。
格好良かったKMFはガウェインと蜃気楼。やっぱドルイドシステムだ。前半は紅蓮が出てくるまでランスロットが無双しまくって、戦略が戦術に屈する場面が多かったが、紅蓮が出てきてからは幾分バランスも取れた。けれども、その紅蓮も聖天八極式まで進化すると最後は無双しすぎてちょっとアレだったけれど。