文章について

須賀敦子を模範とした文章を書こうとして、早6、7年くらいだがいっこうに洗練される気配がないのは困ったもので。むしろへたくそになった気すらする。漢字とひらがなのバランスは大体こんなものかなと思いますが、というか昔は漢字が多いほうがよいという考え方だったので、それはそれは仰々しかった。中身は相変わらずないけれど。
余談。最近ね、削ることのすばらしさに気づきました。推敲しろ、削れ、と文章指南の本を読んだり、サイトを閲覧したりすると書いてあるけれど、はっきり言ってそんなの自分の文章の中に言葉があふれすぎてることに気づけないと意味がないと思う。実感が伴わないと行動に移せない人間というのも馬鹿なのか愚かなのか、両方なのかもしれないけれど、本当に自分の書きたいことをまるまるっと書いてみて、それから吟味していくと、何でこんな文を入れてるんだろうとか、全然意味が通ってないじゃんとか、そういう箇所があってガリガリ修正していくと大体最初のものとは違ったかたちになる上に、かなりスリムなものになっている。この日記みたいに頭から直しなしで書いてると重複、反復が多くなり、文章の方向性が見えてこなかったりするのだけれど。まあ、それでも語りおろす感じがあって、これはこれで嫌いではない。何に使うんだといってもよくわからないですが。
しかしネットにはびこる良い文章を書くためのなんとやら、というのは大概がしょうもなく冗漫な文章で書かれているのはどうにかならないのだろうか。