ダークナイトを観てきた

傑作でした。
純粋な悪、悪自体を目的とする悪に対し、正義や秩序は対抗できるのか否か。幾度となく問いかけられてきた問題に真正面に向かい合って、(作中に用意された状況下では)ベストと言える回答を出した作品だと思う。正義は守る側であるのに対し、悪は破壊する側であることを考えると、圧倒的に悪が有利といえる。それでも世にはびこる悪徳の体現者たちが法秩序の下に組み入れられる場合があるのは、彼らにも金や命といった惜しむべきものがあるからだろう。ジョーカーはそれらをすべてかなぐり捨てて(もしくは持たないがために)、バットマンと「遊ぶ」という愉悦のために悪を体現でき、それを抑えることは何者にもできない。人の心の中には悪徳を許容するというラインがあり、さらには悪の芽が潜んでいる。二隻のフェリーのように、命の天秤にかけられたときに正義を裏切って利己心の荒野へと踏み出す可能性。ハービーのように心の隙を突かれて堕落してしまう可能性。そしてそれらの逆のベクトルも、人間は持ち合わせている。人間は弱い。守らなくてはいけないがために、とても弱い。自分一人の身体ではなくなってしまうからだ。究極的には誰かを信じなくてはいけない。名前も知らない誰かをも、信じなくてはいけない場合がある。悪徳の栄えゴッサムにおいて、誰を、何を信じるのか。バットマンは正義、モラル、秩序を信じ、市民を信じた。ジョーカーは誰も、何も信じず、いや、悪のみをただ信じた。悪がもたらす愉悦の快感のみを信じ、身を浸らせ、打ち震えていた。人間は純粋な悪と闘うことは難しいかもしれない。誰もが強いわけではないのだから。けれども、ブルース=バットマンは強さも弱さも持ち合わせ、それを自覚してなお、強くあろうとし、暗黒の騎士として闇の中へ消えていく。それは正義が必要とする見せ掛けに過ぎないただの偶像が毀損されることを防ぐために、真実の正義は穢れた衣を纏わざるを得ないと言うことだった。人から恨まれ、追われ、蔑まれる覚悟をもって、ブルースは真の強さを体現して見せたのだろう。