「ルーシィの哀しみ」フィリップ・ロス/集英社

ルーシィの哀しみ (集英社文庫 2-B)

ルーシィの哀しみ (集英社文庫 2-B)

己の信じる倫理観、道徳観、正義観を「世間」と折り合わせることの出来なかった少女、ルーシィの悲劇を描いた話。望まない妊娠のために、下らないと思っていた男と結婚することになり、挙句最後には凍死してしまう。この単純な筋を貫くのは、ルーシィの一貫した価値観であり、世間というものの曖昧、つまり善悪の渾然となった姿である。「自分の許さないことは許されるべきではない」ということを他人に押し付けてしまう幼さが、人々の心をルーシィから離れさせてしまい、最終的には腹を痛めた息子にすら拒絶されてしまうことで、孤独に陥ってしまう。ルーシィの不幸は自分が何を考えているか理解できないような救いがたい屑である(だがそれゆえに人間らしい)夫と父親に遠因があり、それは彼らに対して、一瞬でも情を与えてしまったこと、優しさを与えてしまったこと、ルーシィの甘さゆえに信じてしまったことによる。頑なに不道徳を許さず、自己の信念に対する信奉を揺るがさないルーシィは気が狂ったような振る舞いと言動を撒き散らし、やがて周囲の人間からあきらめられてしまう。ルーシィは祖父に代表される自分の味方を、「自分(の信念に沿わない)を裏切ったから」という理由で拒絶する。結果的に自らが作り出した孤独のために死ぬことになる、ルーシィという一人の女性の姿は第3部以降の冴え渡る筆致でぐっと迫ってくるが、一読の価値あり。ルーシィの価値観は宗教的ではないが、「確立された個人」というものが重きを占めているため、彼女の両親や夫であるロイなどを理解することができなかったのだろう。
倫理や道徳や正義といったものは常にあいまいなものですが、最後に父親が「正義というものがこの字をどう書くか次第である」と手紙に書いているとおりで、結局のところは自分の価値観と世間のそれとを折り合わせなければ生きていけない。しかし本当にそうなのだろうか? ルーシィは失敗した(させられた)。ではこれを読んでいるあなたは? と問われているような気がして仕方がなかった。