「V for VENDETTA」

大国であるアメリカが第三次世界大戦によって、混沌を極め没落してしまった世界。イギリスはサトラーなる指導者の下、強国としての地位を保っていたが、それはかつて彼らが葬り去ったはずの全体主義を髣髴とさせるような国家主義が蔓延する社会と引き換えであった。一部の人にわかりやすく一言で言うと、スティーヴ・エリクソンの「アムニジアスコープ」みたいな感じの世界観。娯楽性を残しつつ、メッセージ性を強く打ち出した意欲的な作品。
Vって誰だよ、と思いながら見ていて、途中から段々なんとなくわかってきて、仮面の下がどう処理されるのかということに段々と興味が移ってきて、そしてラスト。ああ、こうしたか、と納得がいく内容でありました。
んで、Vの仮面って表情が一定である、つまり不敵な笑みのまんまのように見えるわけなんですが、お話が進んでいくにつれて、喜怒哀楽がきちんとにじみ出ているように見えるのが不思議というか、もうストーリーやら演出やら、ヒューゴ・ウィーヴィングの演技やらが素晴らしいからなんだろうけれど、すごい。
以下ネタバレ込みで。
製作者の「問い」は随所に込められている。たとえば、Vがテレビから大衆に問いかけるシーンでは「このような体制を選んだのは誰だ? その答えを知るのは簡単だ。鏡を見ればいい」(うろ覚えですが)というシーンがある。「人と違うということは。いけないことになった」世界を選んだのはまさしく大衆たち自身の弱さによるものだが、それを覆すのもまた大衆自身であるということ。そのことはラストシーンで、Vの仮面をいっせいに脱ぎ捨てるシーンに集約される。
テロリズムの正当性についてあまり論じられないのは痛いが、「テロ行為は思いが形になったもので、それが正当なものならば、思いは人々の中に広がっていくだろう」というようなことも言っていて興味深い。
人間はエゴイスティックな生き物であり、突き詰めていけば、自己の生命こそが一番大切なものであるはずだが、主役であるイジー(ナタリー・ポートマン)が拷問を受ける一連のシーンを経て、命よりも大切なものがある、命を賭して守るものがある、ということを製作者は提示する。自己の保身のために生きることは、生というものの真の目的を失わせ、仮初の生の中を生きることでしかない。人間が何より人間であるために必要なのは真実なのだというこのメッセージは劇中では強烈だ。
多様性を認めてきた社会が段々そうではなくなりつつあるということを製作者が強く感じたからこそ、こういった作品が出てきたのだろうし、それが出てきたのがアメリカであるということに、アメリカもまだまだ捨てたもんじゃない、と思わされる。こういう骨太なSFなんて日本人はあんまり作らないし、作ってもぐだぐだだからなあ、特に映画では。
言うまでもないですが、鍵括弧部分はうろ覚えです。