「ボディ・アーティスト」ドン・デリーロ/新潮社

ボディ・アーティスト

ボディ・アーティスト

震えながら読んだ。
言葉と時間の話だ。この小説には構造における背骨となっているような物語が存在せず、結果として散文詩のような形態をとっている。これについて訳者は、デリーロが言語への信頼を徹底的に突き詰めていった結果である、というようなことを書いている。
ひとつの「世界」を認識するということは、「わたし」がそれを意識し、さらに物語性を持った時間の流れ(因果関係)を了承し、信頼していくということに他ならない。ボディ・アーティストであるローレンがその実感からはみだし、また戻っていく(とは言え、入り口とまったく同じ立ち位置に戻るわけではないのだが)までの話ということになるのだが、人物の間では統語と時系列の破綻が横溢する。人物の間では言葉と時系列に対する認識が崩れているのに、この小説がつまるところ言語への強力な結びつきをもって書かれていることが、さらに構造を深化しているようにも思える。まあ適当ですが。
ちなみに、これを柴田氏が訳していたりしたら、扱いがちょっと変わったんだろう、と思った。ちょうど、「体の贈り物」みたいな扱いになりそう。