「八月の光」ウィリアム・フォークナー/新潮社

八月の光 (新潮文庫)

八月の光 (新潮文庫)

サンクチュアリ」よりもこちらのほうが好きだ。まあ、そのことを上手くは説明できないのだけれども……。社会は人間が寄り集まって作り上げていったものであるにもかかわらず、時を経るとそれは人間の手を離れていってしまうものなのであるということをまざまざと感じる。それがある種の閉塞したものであるのならなおさらだ。
また、この小説の世界には「真実」が欠けているように思う。肝心な箇所はぼかされたままだからだ。地方検事がとある人物について語るシーンがある。しかしそれは推測に過ぎないのだ。人間の本当のことなど、当の本人にしかわからない(本人にすらわからない)にも関わらず、推測の形でしか示されない事件の状況や心理がひどくもどかしい。結局のところ、「真実」の周縁をぐるぐると回ったまま、どこへもたどり着けないまま、ずっと(そこに態度の差異はあるにすれ)推測を重ねることしかできないのだ。
あとはフォークナー作品全般に言えることだが、人間は過去に囚われているし、過去を通してしか現在しえないのだという事実をいつもつきつけてくる。人間は過去から逃れることはできないし、現在はそれ自身の力でそこに存在しているわけではない。僕は時たま忘れる。自分がどうしてここにやってきたのか、ということを。どういう道をたどってきたのか、ということを考えずには、今を理解することなどできないのだ。作中の人物は過去と言う枷、もしくはしがらみによって縛られた存在なのだ。そこにこそ、リアリティーとでも呼ぶべき空想の力が感じられる。