極東逆転裁判

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元ネタそのままの雰囲気が残ってたりするのは中々良い。逆転裁判のパロディとしては面白い、んだけれども、実はそれだけだったり……。だるい箇所多すぎだし。
ナルホド=プレイヤーは一見ニュートラルな視点に立っている(ようするに先入観がない)ように見えるが、実際のナルホドの視点はニホンちゃん(このキャラ懐かしいなー)寄りである。つまりこの時点で、いくら作者が客観性を保持しようとしても不可能。ニホンを無罪にするという観点から論を展開しなくてはいけないからだ。さらに、被疑者を弁護する立場にある者としての責任として、彼は検察側の提示する証拠に対して次々と反証をしていかなければならない(これが逆転裁判という「ゲーム」)。だが、ゲーム内に仮構された法廷の場に提出される証言・証拠を選択したのは製作者であるということを忘れてはいけない(ここで作為性が混入してしまう。一般の裁判の場でも作為性の混入はあるのだろうが、歴史においてそれは致命的なミスに繋がる)。ナルホド=プレイヤーのたどる思考過程は製作者によって「用意された」道筋であり、最初から何らかの意図が込められたものである。つまり、歴史的問題に対する製作者の意見を読まされているに過ぎないということ。あと、検察側の主張は間違っている、弁護側の反論は常に正しい、矛盾を指摘できたら無罪、というどこから来たのかわからんくらいに自信満々で意味不明な前提がないとこのゲームは成立しない。でも歴史においてその前提は「ありえない」。
……とまあここまでつらつらと思いつくままに書いたが、要するに歴史的なできごとを逆転裁判の形式に当てはめるのは無理だということだ。歴史に対する判断には中立性が要求されるのにも関わらず(そんなの無理だって意見もあるだろうけれど)、この形式ではどちらか一方に最初から肩入れしなくてはいけないから。製作者の意図はわからないが、はっきり言って嫌悪感を覚える。真剣かつ慎重な態度があれば、「逆転裁判」という形で歴史を扱うことはできないはず。そんだけ。
これよりは「逆転のノストラダムス*1」の方が面白いよ。