ゼミ、というか

卒論指導の授業に出るのが億劫で仕方がない。あの空間が、もっと限定して言えば、あのメンバーが生理的に受け付けないからだ。なんで僕は彼らが嫌いなのだろうと考えてみても、上手い説明は出てこなかった。そもそもの話、僕は彼らが嫌いだが、彼らも僕のことが嫌いなのだろうと思う。別にそんなことはどうでもいいのだ……。僕の場合、好悪の情は感覚が優先し、ロジックは後付けだ。なぜ嫌いなのかがわかると、そこで固定されたままになってしまうことが多いが、感情的なものの場合、まだ取り返せる。取り返すことができる。しかし、取り戻したいとも思えない。彼らに対する親愛の情など最初から存在しなかったかのように、僕は不平を述べ続ける……。卑しい感情が生起するのを感じ、僕は僕自身にむかつきを覚える。永久にループしている。人を嫌うということは、問答無用に手続きが行われた後、手続きを反復するかのように辿りなおし、自分自身の不寛容さを浮き彫りにする。つまり彼らと一緒にいるということは、僕が僕を責めるという状況なのであって、それが苦痛に思えるということらしい。